様々な後発酵茶

茶葉を一度加熱してから、カビやバクテリアなどの微生物の力で発酵させて作るお茶を後発酵茶と言います。日本の一部の地域でも古くから伝承されてきた後発酵茶ですが、本場中国や中国と国境を接する東南アジアの国々でも後発酵茶が作られています。

 

今回は、日本、中国・東南アジアの後発酵茶について、製法や特徴などを比較しながら詳しく見ていきましょう。

 

後発酵茶とは、人工的に付着させた微生物の力で茶葉を発酵させたお茶

1981年に、国立民族科学博物館助教授(当時)で歴史学者の守屋毅氏が書いた『お茶のきた道』は、これまであまり研究対象とされてこなかった後発酵茶の存在に光を当てました。

 

発酵茶として広く知られているのは紅茶やウーロン茶ですが、これは茶葉が本来持っている「酸化酵素」により自己発酵したお茶です。

紅茶とウーロン茶

 

ここで言う後発酵茶とは、茶葉を加熱して酸化酵素を失活させてから、微生物により茶葉を発酵させて作るお茶のことで、中国のプーアル茶の他、日本では徳島の阿波番茶や高知の碁石茶などが知られています。

プーアル茶、阿波番茶、碁石茶

 

茶は、中国から日本を始め世界中に伝わり、各地の人々の暮らしに合わせ定着しました。原料となる茶葉は同じものですが、製法の違いで非常に多種多様な茶が存在しています。

 

茶は、まず「発酵茶」、「非発酵茶」に大きく分類することができます。茶葉に含まれる酸化酵素は、摘み取ってからもしばらく活動を続けるため、摘みたての若葉の色や香りを残すためには、素早く加熱して酸化酵素の活動を止める必要があります。

 

このように、茶葉に含まれる酸化酵素を失活させて作ったのが、非発酵茶で、日本で最も馴染み深いものは緑茶です。

緑茶の茶葉と水色

 

加熱する方法には「蒸す」「炒る」「茹でる」の3通りがあります。現在の日本の緑茶製造においては「蒸す」のが主流となっていますが、九州・四国の釜炒り茶は「炒る」ことで、岡山県北東部の地域で伝統的に作られてきた日干番茶(美作番茶)は「茹でる」ことで、茶葉の酸化酵素の活動を止めています。

釜炒り茶日干番茶(美作番茶)

 

緑茶のように摘んだ茶葉をすぐ加熱しない場合、酸化酵素の活動により茶葉の成分が変化します。この成分変化をお茶業界では「発酵」と呼んでおり、すぐ加熱せずに酸化酵素による成分変化(発酵)を行ったお茶を「前発酵茶」と言います。

 

前発酵茶は、まず、茶葉を干して萎れさせる「萎凋」を行います。これは茶葉の発酵の第一ステップで、茶葉の水分を飛ばしながら、発酵を促します。この後、「揉捻(茶葉を揉むこと)」や「玉解き(茶葉をほぐすこと)」を行うことで、茶葉の発酵はさらに進みます。

日干萎凋(ウーロン茶)玉解き(ウーロン茶)

 

茶葉を完全に発酵させると紅茶に、発酵を途中で止めるとウーロン茶になります。

 

これに対して、まず茶葉そのものの発酵(自己発酵)を人工的に止めてから、カビやバクテリアなどの微生物を利用して発酵させたものが「後発酵茶」です。

微生物

 

微生物による発酵の方法は、大きく分けて3つあります。

・1つ目は、「好気的発酵」と呼ばれ、空気を好む(生育に酸素を必要とする)菌で発酵させる方法です。

・2つ目は、「嫌気的発酵」と呼ばれ、空気を嫌う(酸素があると死滅するor活発に活動しない)菌で発酵させる方法です。

・3つ目は、「2段階発酵」と呼ばれ、好気的発酵を行った後に嫌気的発酵を行う方法です。

好気性菌、嫌気性菌

 

日本で伝統的に継承されてきた後発酵茶も、製法によってそれぞれ分類することができます。

・好気的発酵茶は、富山県の「富山黒茶」

・嫌気的発酵茶は、徳島県の「阿波番茶」

・2段階発酵茶は、高知県の「碁石茶」と愛媛県の「石鎚黒茶」

以上4つが現在も残っている日本の後発酵茶です。

発酵に着目した茶の分類図

 

日本の後発酵茶の製法と特徴

富山県の「富山黒茶」:日本唯一の好気的発酵茶

富山県と新潟県との県境近くにある朝日町蛭谷(びるだん)地区には、古くから「バタバタ茶」というお茶の風習が伝わっています。

朝日町蛭谷の場所

 

木綿の袋に入れた富山黒茶をやかんでぐらぐらと煮出したものを、それぞれが持参した五郎八茶碗と呼ばれる大きめの茶碗に注ぎ、その中でバタバタ茶専用の茶筅を左右に振ります。

富山黒茶の茶葉、五郎八茶碗、夫婦茶筅

 

するとカチャカチャと茶筅が茶碗の縁に当たる音が響き、そのうち富山黒茶が泡立ってきます。これがバタバタ茶です。

夫婦茶筅で富山黒茶を泡立てている様子

 

お漬物や煮物といったお茶請けと共に、ゆっくりいただくバタバタ茶は、仏教行事や地域・親戚の寄り合いには欠かせないお茶です。

 

茶筅で茶を泡立てて飲む「振り茶」は、青森、島根、沖縄など日本各地に伝わる飲み方ですが、後発酵茶を使うのは朝日町だけです。

 

振り茶の起源は江戸時代まで遡りますが、元は中国で古くから実践されてきた飲茶法です。抹茶を点てるのと似たこの作法は、茶の湯にも繋がるもので、本来は身分の高い人々のためのものでした。

抹茶を点てている様子

 

日本各地に残る振り茶文化は、こうした抹茶文化に憧れた庶民が、飲茶法を模倣したことにより生まれたと考えられています。

 

富山黒茶は、カビを主体とした微生物により発酵させた好気的発酵茶ですが、これは分類上、中国の茶の六大分類法の黒茶(中国黒茶)に属し、日本でもメジャーなプーアル茶の仲間ということになります。

プーアル茶

 

好気的発酵茶はかつて、福井県の三方地域で生産が盛んでしたが、廃業が後を絶たず、1977年を最後に途絶えました。そこで富山県射水市の製茶農家であった萩原氏が、好気的発酵茶の製造ノウハウを受け継ぎ、製造を引き続き行ってきました。

 

その間、朝日町も好気的発酵茶の製造を試みます。茶畑が全滅するなどの紆余曲折がありましたが、萩原氏の指導の甲斐もあり、現在は朝日町での製造が軌道に乗りました。

 

全国でも珍しい好気的発酵茶の文化、バタバタ茶の風習を伝承していく環境が整ったと言えます。

 

富山黒茶づくりに使う茶葉は、煎茶などとは違って、新芽や若葉ではありません。十分に育った成葉を7月下旬~8月上旬ごろに刈り取ります。

富山黒茶の茶摘み

 

太い枝などを取り除いたら、蒸気をあてて茶葉の発酵を止めます。次に、蒸しあげた茶葉を揉みながら冷ましつつ余分な水分を飛ばしたら、「室(むろ)」と呼ばれるカビ付け槽に入れます。

 

室とは、150cm×200cm×100cm程度の木枠の周囲をコモ(藁製の敷物)で囲ったものです。同じサイズの室を2つ用意します。一方の室に茶葉を入れたら、上にもコモをかけ、保温状態にします。

室に入れられた茶葉

 

すると茶葉にカビが発生して発酵を始め、温度が上昇してくるので、65~70℃になったらもう一方の室に茶葉を移し替えます。これを切り返しと言いますが、これにより温度は一旦35℃くらいまで下がります。

 

温度を管理しながらおよそ2~3日に1度、切り返しを繰り返します。切り返しの総回数に決まりはなく、職人の経験と勘に支えられています。カビ付けの工程は、約20~25日で終わり、陰干しと天日干しを経て、富山黒茶が完成します。

富山黒茶の完成品富山黒茶のパッケージ

 

富山黒茶が、プーアル茶などが属する中国黒茶と分類上同じであるのは前述の通りです。では、富山黒茶のルーツは、中国黒茶に求められるのでしょうか?

 

中国黒茶の製法は様々で、カビ付けの工程を例にとってみても、1回しか行わないものもあれば、釜炒り、カビ付け、乾燥の工程を数セット繰り返すものもあります。

 

富山黒茶の場合は、茶葉の加熱、カビ付け、乾燥の工程はそれぞれ1回のみで、数ある中国黒茶と比較しても、最もシンプルな製法です。

 

また、カビ付けの回数や時間、茶葉が含む水分量によって、生えるカビの種類も異なってくるため、工程が同じであっても、出来上がる製品が同じとは限りません。

 

中国黒茶は、それほどバラエティに富んでいる茶のカテゴリーではあるものの、チベットなど辺境地の少数民族向けに作られたものであり、「辺茶」とも呼ばれ、長らく粗末な茶という扱いを受けてきました。

 

そのため、中国において、高級茶の研究は活発に行われてきましたが、中国黒茶の製法などの研究が進み、日本国内で情報が入手できるようになってきたのは、近年になってからです。従って、富山黒茶と中国黒茶の関係を知ることは、現時点では困難な状況です。

 

しかし、最近は健康に良い飲み物として中国黒茶が注目されてきているため、今後、様々なことが解明される可能性は大いにあると思います。

健康のために中国黒茶を飲む女性

 

まだ謎に包まれた部分も多い、富山黒茶と中国黒茶との関係ですが、中国発祥の茶が日本に伝わってきたことを踏まえて考えると、中国で見られる茶の製法も、時間をかけて日本に伝わっていることが推察されます。

 

今後の研究の進展により、富山黒茶と同じ工程で作られる中国黒茶を中国国内で特定することができるかもしれません。

 

朝日町蛭谷のバタバタ茶伝承館では、バタバタ茶の歴史や製造工程を知ることができるだけでなく、試飲も可能です。

バタバタ茶伝承館

 

また、朝日町の歴史公園内にある旧川上家は、江戸時代頃の町家を復元した建物で、囲炉裏端で無料のバタバタ茶体験ができます。

旧川上家旧川上家の囲炉裏

 

集落で行われる集会やお講の席で、世間話などしながら楽しむバタバタ茶の風習は、残念ながら、時代の流れと共に衰退しつつあります。

世間話をしながらバタバタ茶を楽しむ人々

 

朝日町へは、北陸自動車道の朝日IC、または北陸新幹線の黒部宇奈月温泉駅のどちらからも車で20分ほどです。古くから伝わる貴重な文化を、ご自身で体験してみるのも面白いと思います。

 

高知県の「碁石茶」:日本に2つだけ残る2段階発酵茶の1つ

碁石茶の産地は高知県大豊町で、カビによる好気的発酵とバクテリアによる嫌気的発酵という2段階発酵を経て作られている後発酵茶です。

碁石茶

 

生産者の高齢化と、碁石茶の市場におけるニーズの縮小が原因で、碁石茶の生産者は減少を続け、30年ほど前にはたった1軒にまで激減してしまったこともありましたが、現在はやや持ち直し、7~8軒の農家が碁石茶の伝統を守っています。

 

碁石茶は、以下に示す6つの工程で作られます。

 

①茶摘み

碁石茶に使われるのは、山茶(野山に自生する茶の樹)の葉です。一般的な緑茶のように若葉や新芽だけを摘み取るのではなく、成長した葉も使用するため、茶摘みは7月中旬~下旬にかけて行われます。

碁石茶の茶摘み

 

以前は、茶葉のみをしごき取っていましたが、現在は枝ごと刈り取り、作業効率を高める工夫をしています。

 

②茶葉を蒸す

茶葉を蒸して酸化酵素の働きを止めます。蒸し桶に摘み取った茶葉を枝ごと入れ、石を乗せた落し蓋をしてから加熱しますが、蒸し上がるにはおよそ4時間もの時間が必要です。

碁石茶の茶葉を蒸す

 

ここで出た蒸し汁は、二次発酵(嫌気的発酵)を行う際に必要となるため、保存しておきます。

 

蒸しあがった茶葉はまず、桶ごと作業小屋まで運んでから敷物の上に広げます。枝を持って振ると、茶葉が外れて落ちてくるので、小枝や茎などの不要物を選別しながら冷まします。

筵に広げた茶葉

 

 

③カビ付け(一次発酵)

作業小屋の中にある6畳ほどの板の間に茶葉を広げます。厚さにして40cmくらいになるように積み重ねたら、その上から筵(藁などで作られた敷物)で覆い保温するとともに、乾燥を防止します。

碁石茶のカビ付け

 

3日目くらいになり、茶葉にカビが生え、筵の中の温度が上昇し始めたら、温度が上がりすぎないように日々のチェックが欠かせなくなります。カビ付けはおよそ10日で終了しますが、カビの生育度合いは碁石茶づくりの鍵ですので、最も神経を使う工程です。

カビ付けされた碁石茶の茶葉

 

④漬け込み(二次発酵)

カビ付けが済んだ茶葉は、大人が入っても首から上しか見えないほど大きな杉の桶に入れます。漬け込み作業では、ゴムの長靴を履いて桶の中に入り、茶葉を入れては踏み固め、30cmくらいの高さになったところで保存しておいた蒸し汁を回しかけます。

桶に入れた碁石茶の茶葉

 

これを何度か繰り返し、桶いっぱいになったら、PVC(塩化ビニル)のシートを被せてから木の落し蓋を乗せ、その上から茶葉の重量と同じくらいの重石をして10日~2週間ほど発酵させます。PVCのシートがかけてあることにより、空気に触れない嫌気的発酵となります。

重石をした碁石茶の桶

 

漬け込みから2~3日も経てば、活発な発酵を始めます。大量の泡が吹き出して、落し蓋を重石ごと持ち上げるほどです。

 

⑤茶葉の切り出し

二次発酵が終わったら、いよいよ茶葉を桶から取り出します。重石をしていたことで茶葉同士が密着している上、発酵も進んでいることから、茶葉を1枚ずつばらすのではなく、塊を裁断する方法を取ります。

碁石茶の茶葉の切り出し

 

まず、桶の中の大きな茶葉の塊を、30cm×30cm×20cmくらいのブロック状に切り分け、それをさらに5cm角程度の大きさに切り揃えます。

碁石茶の茶葉の裁断

 

⑥天日干し

最後の工程では、切り出した碁石茶を筵に並べて天日干しします。乾燥の仕上がりは、碁石茶の製品としての価値を左右する大切なポイントです。

天日干ししている碁石茶

 

まず、茶葉のブロックを指でほぐし、厚みを1cmくらいにしてから筵に並べます。そして、時々上下を返しながら乾かしていきますが、水分が抜け切らないとカビが生え、品質が落ちてしまいます。

 

また、乾燥は晴天の日に行い、3日で仕上げるのが良いとされています。

 

まず1日目で茶の表面にツヤが出て、黒褐色になります。2日目には表面の水分がほぼなくなり、固くなってくるので、その日の夕方に、筵に包んで小屋の中で一晩寝かせます。すると、茶の中心部に残っていた水分がならされます。そして、3日目で完全に乾燥させれば完成です。

 

筵の上に整然と茶葉が並ぶ様が、まるで碁石を並べているように見えたことが、碁石茶と呼ばれている所以です。

天日干ししている碁石茶

 

製品の総仕上げである乾燥工程で最も大切なポイントは、晴天の日に天日干しをすることです。

 

天候に恵まれない時や、スペースの都合で漬け込んだ茶葉を一度に天日干しできない時は、切り出した残りの茶葉をバケツなどに踏み固めるように入れ、極力空気から遮断した上で晴れの日を待つことになります。

 

現在、碁石茶を主に消費しているのは、生産地ではなく瀬戸内の島々で、茶粥用として利用されています。

碁石茶の茶粥

 

後発酵茶である碁石茶に含まれる様々な有機酸と茶カテキンの働きで、米が糊化せずサラサラとした茶粥に仕上がる点で重宝されていますが、茶粥そのものの消費量が減少する中、その需要も先細り傾向であることは否めません。

 

また、かつて碁石茶の茶渋は、瀬戸内海沿岸の漁師たちが、漁網の腐食防止に利用していましたが、現在は漁網の素材が化学繊維に取って代わられ、その役割を終えました。

碁石茶で染色された漁網

 

現在、生産地では「幻のお茶」という触れ込みで、地域の特産品として販売されていますが、今後、碁石茶の安定的な需要を作り出すには、「碁石茶染め」のようなお茶以外の利用法など、市場開拓が存続のキーとなってくるでしょう。

※碁石茶染め:碁石茶を用いた染色。人工的ではない自然の優雅な染め上がりになる。

碁石茶染めのバッグ、マフラー

 

愛媛県の「石鎚黒茶」:日本に2つだけ残る2段階発酵茶の1つ

石鎚黒茶は、四国の霊峰石鎚山の麓、愛媛県東部の西条市の石鎚地区に伝わる後発酵茶です。碁石茶と同様、瀬戸内海沿岸の人々が茶粥用に、あるいは飲用にと利用してきました。

石鎚黒茶

 

生産地が山深い集落であり、都市部へ人口が流出したこと、また、石鎚黒茶の需要自体も減少する中で生産者が激減し、存続の危機にさらされる事態に陥りました。

 

そこでおよそ20年ほど前から、地元の生活研究グループがその製造技術を継承し、現在は「天狗黒茶」という名称で製造・販売を行っています。

天狗黒茶

 

また、2015年度からは、愛媛県の「石鎚黒茶産地化支援事業」もスタートし、石鎚黒茶の保存・伝承と同時に、健康機能性の研究を進めるなど、地域の特産品としてブランド化を目指す取り組みを続けています。

 

石鎚黒茶は、以下に示す6つの工程で作られます。

 

①茶摘み

石鎚黒茶に使われるのは山茶(野山に自生する茶の樹)です。7月中旬~下旬に大きく硬く育った成葉を収穫します。

石鎚黒茶の茶摘み

 

以前は葉だけを手でしごき取っていましたが、現在ではハサミや茶刈機を使って枝ごと収穫しています。蒸し器に入る長さに切り揃えたら、虫やゴミが混入しないように水洗いします。

 

②茶葉を蒸す

枝付きのまま蒸し器に入れ、およそ1.5時間かけて蒸気を当て、茶葉に含まれる酸化酵素を失活させます。なお、蒸し時間は、収穫した茶葉の大きさや硬さを見ながら微調整します。

石鎚黒茶の茶葉を蒸す

 

蒸し上がったら茶葉を広げ、枝など不要物を取り除きながら冷まします。

石鎚黒茶の冷却

 

③カビ付け(一次発酵)

木製の桶に茶葉を詰め、布を被せてから落し蓋をしたら、一次発酵を行います。山間部の涼しい場所に桶を並べて、1週間~10日ほどで白いカビが生えてきます。

石鎚黒茶のカビ付け

 

④茶葉を揉む(揉捻)

茶葉に白カビが生えたら、洗濯板などを使ってよく揉みます。この揉捻は、同じ2段階後発酵茶である碁石茶には無いもので、石鎚黒茶独自の工程です。

石鎚黒茶の揉捻

 

⑤漬け込み(二次発酵)

揉捻が済んだ茶葉は、別の桶に入れて二次発酵を行います。空気に触れさせないようにして発酵させるため、桶に詰め込む際は空気を抜くように力強く押さえつけながら、桶一杯に入れます。

 

ビニールシートを被せて落し蓋を乗せ、その上に更に重石をして約10日~2週間漬け込みます。

石鎚黒茶の漬け込み

 

⑥茶葉の取り出しと天日干し

茶葉が十分に発酵したら桶から取り出し、軽く揉みほぐしながら茶葉をばらばらに広げます。茶葉をほぐしてから天日干しにする点も、碁石茶との違いの1つです。

 

乾燥させる際には、日当たりのよい場所にすだれなどを広げ、その上に干します。時々上下を返しつつ、およそ2日で完成です。

石鎚黒茶の天日干し

 

生活研究グループが、たった1軒だけ残った石鎚黒茶最後の生産者から受け継いだ製法は、上記の通りですが、実は、長い歴史を持つ石鎚黒茶の製法は1つではなく、むしろ非常にバリエーションに富んでいます。

 

過去に行われた石鎚黒茶の製法を調査した結果は、非常に興味深いものでした。例えば、茶葉の加熱方法は蒸すだけでなく茹でる場合もあり、カビ付けの工程を行わない、すなわち2段階発酵ではない石鎚黒茶も存在しました。

 

また、嫌気的発酵を行う際の空気の抜き方も、漬物をつけるように重石を載せる方法の他、桶の口をシュロの葉で覆った上に、練った赤土を塗り込む方法も取られていました。

 

さらには、碁石茶と同様に、塊のまま乾燥させて固形茶として仕上げる場合も多いことが分かっています。

 

つまり、石鎚黒茶の製法は一つに限定されるものではなく、生産規模の大小や、生産者の好みなどによって変わり、そしてその製法が各地域で伝承されているという訳です。

 

また、後発酵茶を製造する他の地域との共通性が見られる点は、非常に興味深いものがあります。例えば、カビ付けの工程を省略して1段階発酵で製造されている石鎚黒茶がありますが、これは、徳島の後発酵茶である「阿波番茶」と全く同じ製法です。

阿波晩茶

 

もし、碁石茶や石鎚黒茶のような2段階発酵の後発酵茶が、他の後発酵茶のルーツであると仮定すれば、阿波番茶は石鎚黒茶の工程の一部を省略したもので、いわば進化系と推察することが出来ます。つまりこれは、後発酵茶の歴史を紐解く上で、重要な手がかりとなり得るのです。

 

そして、茶のルーツである中国や周辺の東南アジアで製造されている後発酵茶と共通する製法も発見されています。

 

前述の通り、一部の地域では、嫌気的発酵を行う際、桶に茶葉を詰め込んだ後シュロの葉を乗せてから、赤土を練ったものを被せて密閉状態にして空気を遮断しています。

 

これは、中国雲南省西双版納の竹筒酸茶やタイ北部のミアンといった、食べるお茶(漬物茶)の製法に通じるものです。

竹筒酸茶ミアン

 

また、発酵が終わった茶葉は、先に紹介した製法のようにほぐして乾燥させるより、碁石茶のように切り分け、塊のまま乾燥させるものが主流だったことが判明しています。

 

また、製品を俵に詰めて運ぶ際の型くずれを防ぐために、切り分けたブロック状の茶葉を手で丸め、角を無くす工夫も施されていたようです。

 

製品の形状が似通っていることから、碁石茶や石鎚黒茶の固形茶と、中国の団茶(削りながら使う固形茶)に共通性があるとする見解もありますが、後発酵茶である碁石茶と団茶とは製法が大きく異なっています。

団茶を削っている様子

 

共通性という視点で考えるなら、むしろ、中国で作られている乾燥タイプの竹筒茶こそ、団茶の元と考えるのが自然とする見解がスタンダードです。

竹筒茶

 

乾燥竹筒茶については後述しますが、竹筒に茶葉を詰めたものを火で炙ることで乾燥させ、中の茶葉をカチカチの黒い棒状に固めるもので、これを削ったものにお湯を注いで飲みます。

 

徳島県の「阿波番茶」:日本唯一の嫌気的発酵茶

名前は阿波番茶ですが、一般的な「番茶」とは違い、こちらも後発酵茶の一種で、徳島県の山間部を中心にごく限られた地域でのみ作られています。中でも上勝町と旧相生町(現在の那賀町)が生産の中心となっており、ピーク時には年間約110tを生産していました。

阿波晩茶

 

しかし、高齢化などにより生産農家の数は激減し、現在の生産量は両町合わせても年間30~40t程度となっています。統計に表れる数字以外で、自家消費用に阿波番茶を作っている農家があることを考慮しても、生産規模が縮小傾向なのは間違いありません。

上勝町と旧相生町(現在の那賀町)の場所

 

阿波番茶の歴史を遡ってみると、この地域の人々は昔から、この後発酵茶を「番茶」と呼んできたことが分かります。

 

日本では土地ごとに製法も飲み方もその地域特有で、独自のお茶文化が根付いている場合が多く見られますが、これらをおしなべて「番茶」と呼んでおり、阿波番茶もその1つです。

 

実際、同じ徳島県には「木頭番茶」と呼ばれる釜炒り茶がありますが、生産地である木頭村では「番茶」と呼ばれています。

木頭番茶

 

阿波番茶は、碁石茶や石鎚黒茶の漬け込み前に行う好気的発酵(カビ付け)はせず、以下に示す5つの工程で作られます。

 

①茶摘み

阿波番茶に使われるのは山茶(野山に自生する茶の樹)の葉です。真夏までしっかり葉を生育させて、7月中旬頃に茶摘みを行うのは、若い茶葉を漬け込むと、発酵した後に原型を留めなくなってしまうからです。

 

手で枝をしごくようにして、葉を根元から採集していきます。

阿波番茶の茶摘み

 

②茶葉を茹でる

茶葉を大釜でぐらぐらと茹で、茶葉に含まれる酸化酵素を失活させます。茹で始めは緑色の茶葉が、茹で上がる頃には茶色に変色します。また、茹で汁は、漬け込みの際に利用するため保存しておきます。

阿波番茶の茹で

 

③茶葉を揉む(揉捻)

茹でた茶葉は、「揉捻機」と呼ばれる専用の機械で揉んでいきます。

阿波番茶の揉捻機

 

昔は「手押し茶擦り器」という木製で舟型の桶に入れ、手作業で揉捻を行なっていました。

手押し茶擦り器

 

桶の両側に1人ないしは2人ずつ立ち、交互に押しながら茶葉を揉むのですが、一度の揉捻作業につき100往復という重労働であり、現在の阿波番茶製造現場では、ほぼ機械化されています。

 

④漬け込み(嫌気的発酵)

木製の大きな桶に茶葉を詰め込んでいきます。ここでは空気を遮断した状態で発酵させるため、なるべく隙間ができないように、足で踏み固めたり、杵などで押し込んだりしながら詰め込みます。

 

桶一杯になったら、シュロや芭蕉の葉、藁、あるいは木綿の布で表面を覆ってから木製の落し蓋と重石を乗せます。

阿波番茶の漬け込み

 

その上から茶葉の茹で汁をたっぷりと注ぎ、空気を抜くと、徐々に発酵が始まり、翌日には白い泡が立ってきます。10日~2週間ほど、そのまま発酵させます。

 

⑤天日干し

桶から取り出した茶葉を、よく晴れた日に筵に広げて天日干しします。天日干しする際は、茶葉をばらばらにほぐすのですが、碁石茶のような2段階発酵茶と違い、カビ付けの工程がないため比較的ほぐれやすくなっています。2~3日しっかりと乾燥させれば完成です。

阿波番茶の天日干し

 

中国の茶の六大分類法

世界的に知られているお茶の分類方法に「六大分類法」があります。これは、1978年に中国の大学教授が提唱したもので、発酵の種類や程度を基にお茶を6つのグループに分け、それぞれの見た目の色から名前が付けられています。

 

①白茶

白茶は、中国茶の中では最も簡素な製法のお茶です。新芽を中心に摘み取った茶葉は加熱せず、そのまま萎凋します(萎れさせます)。茶葉を揉んだりもせず、最後に軽く火入れして乾燥させれば完成です。

白茶(白牡丹)の茶葉、水色

 

摘んだ茶葉を加熱しないため、茶葉に元々含まれる酸化酵素の働きで、ごく弱い自己発酵がありますが、茶葉の色は白っぽく見え、抽出したお茶の水色は淡い色になります。

 

生産量は、本場中国でも非常に少なく、中でも白い産毛のような毛が生えた新芽から作られる「白豪銀針」は、希少な高級茶として知られています。

白豪銀針の茶葉、水色

 

②黄茶

黄茶は、黄金色とも言える黄色の水色と独特の風味が特徴的なお茶です。

黄茶(君山銀針)の茶葉、水色

 

摘んだ茶葉を加熱した後揉捻し、その後に釜で炒って水分を飛ばし、冷ましたら2度目の釜炒りを行います。最後に覆いをして高温で保温をする「悶黄(もんこう)」という工程を経て完成しますが、この悶黄こそが黄茶の美しい水色を作り出しています。

 

③緑茶

緑茶は、日本だけでなく中国でも、最も飲まれているお茶です。製造工程も日本の緑茶とほぼ同じで、茶葉を加熱して酸化酵素による自己発酵を止め、揉捻し、乾燥させるというものです。

中国緑茶(西湖龍井茶)の茶葉、水色

 

製造工程において、日本の緑茶と違う点は加熱方法です。蒸気を当てる日本式に対し、中国では釜で炒る方法が取られています。

中国緑茶の釜炒り

 

④青茶

青茶には、日本でも馴染み深いウーロン茶が属します。茶葉を摘んですぐ加熱は行わず、萎凋させて軽く茶葉を揉むことにより自己発酵が進みます。その後、釜炒りしてから揉捻し、乾燥させたら完成です。

青茶(凍頂烏龍茶)の茶葉、水色

 

茶葉の発酵の度合いは30~70%程度とされ、完全に茶葉を発酵させる紅茶と区別して「半発酵茶」と呼ばれることもあります。

 

⑤紅茶

紅茶は、大雑把に言えば、ウーロン茶の茶葉を完全に発酵させたお茶です。摘んだ茶葉を萎れさせ、よく揉んで発酵を促し、茶葉の自己発酵が済んだら熱を加え乾燥させて作ります。赤く濃い水色と、華やかな香りが特徴のお茶です。

紅茶(キーマン)の茶葉、水色

 

⑥黒茶

黒茶は、摘んだ茶葉の自己発酵を加熱によって止めた後に、微生物により発酵させた後発酵茶です。つまり、中国では「後発酵茶」と呼ばず、「黒茶」と呼ぶのが一般的です。

 

日本で最も知られている中国黒茶はプーアル茶でしょう。プーアル茶以外にも様々な黒茶(後発酵茶)が作られていますが、これらは「辺茶」とも呼ばれ、主にモンゴルやチベット方面の辺境地で消費されています。

プーアル茶、辺茶(茯茶)の茶葉、水色

 

なお、前述の後発酵茶の発酵方法による3分類のうち、中国黒茶は好気的発酵茶のみになります。日本の後発酵茶で言えば、富山黒茶と類似の製法です。

発酵に着目した茶の分類図と中国黒茶の位置付け

 

中国の後発酵茶の製法と特徴

中国都市部で作られる主な後発酵茶(中国黒茶)

中国黒茶の製造工程は、作られる地域によって様々です。代表的な中国黒茶とその製法は次の通りです。

 

湖南黒茶

湖南黒茶は、中国南部の山岳地域である湖南省で作られている黒茶で、茶葉の加熱、揉捻の後、茶葉をしばらく積み上げた状態で発酵させ、再び揉捻をしてから乾燥仕上げを行います。

湖南黒茶

 

湖北老青茶

湖北老青茶は、中国内陸部にある湖北省で作られている黒茶です。茶葉を加熱、揉捻した後、天日干しして、再び揉捻してから積み上げて発酵させます。仕上げにもう一度天日干しを行い完成です。

湖北老青茶

 

四川黒茶

四川黒茶は、中国の南西部にあり、長江が流れる四川省で作られている黒茶で、主に辺境地域で消費される辺茶として製造されています。

四川黒茶

 

四川黒茶は、出荷先によって南路辺茶(チベット方面)と西路辺茶(北西部の青海省、甘粛省など)に大別することができます。

チベット自治区、青海省、甘粛省の場所

 

西路辺茶の製法は特徴的で、蒸した茶葉を堆積させて1度目のカビ付けを行った後、圧縮して固形状にしてから2度目のカビ付けを行いますが、花のように見える黄色いカビが点々と見られるため、この工程は「発花」と呼ばれています。

発花

 

滇桂黒茶

滇桂黒茶は、中国南西部に位置し、ラオスやミャンマーとの国境にも接する雲南省で作られている黒茶で、プーアル茶はこの滇桂黒茶の一種です。

プーアル散茶

 

積み上げた荒茶にカビ付けをして作ります。放置して熟成させる期間は、短いものでも数ヶ月、長いものでは年単位です。長期間熟成されたものほど美味しく、また価値があるとされています。

プーアル茶の堆積

 

先ほど、日本の後発酵茶の中で、中国黒茶と同じ製法なのは富山黒茶だけと述べましたが、碁石茶や阿波番茶など、空気を遮って発酵させる工程を持つ後発酵茶(嫌気的発酵茶、2段階発酵茶)は、六大分類に含まれていません。

発酵に着目した茶の分類図と漬物茶の位置付け

 

これは、嫌気的発酵をさせるお茶は、「飲むお茶」ではなく「食べるお茶」として捉えられているからです。「漬物茶」と呼ばれる別のカテゴリーに分類されているのです。

 

しかも、「ニーエン」もしくは「酸茶」と呼ばれるこの漬物茶を主に消費しているのは、雲南省最南端にある西双版納(シーサンパンナ)のタイ族やプーラン族といった少数民族の他、国境を接するラオス、ミャンマーと一部のタイ北部地域だけであり、流通は非常に限られたものです。また、ニーエンは現在では消滅したとされています。

漬物茶を主に消費している地域

 

中国辺境地「西双版納」で作られるお茶には3つの種類がある

西双版納(シーサンパンナ)は、雲南省の中にあるタイ族の自治州で、全人口の1/3を占めるタイ族の他、プーラン族、ハニ族など様々な少数民族が暮らしています。

 

西双版納の州都は景洪(ジンホン)で、雲南省の省都・昆明(クンミン)からは国内線を乗り継ぎ1時間弱のフライトです。

西双版納・景洪、雲南省省都・昆明の場所

 

高床住居に暮らし稲作を行う点、コンニャクや発酵食品を食べる点など、雲南と日本それぞれの生活様式や食文化には共通点が数多く見られます。それ故、日本文化のルーツがこの地域にあるとの仮説に基づき、多くの研究が行われている地域でもあります。

西双版納の少数民族

 

同様に、碁石茶や阿波番茶といった、日本に伝わる後発酵茶のルーツをこの地域に求めることができると考え、調査に訪れた研究者もいます。

 

その根拠の一つに、中国側の文献の存在があります。雲南省歴史研究所が編纂した『雲南少数民族』には、西双版納猛海県のプーラン族の村では竹筒茶と呼ばれる後発酵茶を作っていると書かれていたのです。

 

西双版納で作られるお茶には3つの種類があります。

 

1つ目は「散茶」で、摘み取った茶葉を加熱して発酵を止め、揉捻してから天日干しするというものです。加熱は茹でる場合、炒る場合どちらもあるようですが、炒って加熱するのであれば、日本の四国や九州に見られる手揉み釜炒り茶と同じ系統の茶ということになります。

散茶

 

2つ目は「竹筒茶」です。釜炒りした茶葉を青竹に詰め、外側から火で炙り乾燥させて作ります。中の茶を取り出すと棒状に固まっており、それを削って、お湯で入れて飲む固形茶です。市街地の市場などに、お土産品として出回っている竹筒茶はこのタイプです。

竹筒茶

 

3つ目は「竹筒酸茶」です。前述の『雲南少数民族』には、5~6月ごろ摘んだ茶葉を煮てから、暗く湿った場所でカビ付け(好気的発酵)を行い、竹筒に入れて1ヶ月以上土中に埋めて熟成させる「食べるお茶」と書かれています。

竹筒酸茶

 

日本の後発酵茶との関連性が期待されるのは、3つ目の竹筒酸茶ということになります。

 

一般家庭で竹筒酸茶を作るには、まず、大きく育った茶葉を蒸して、一度冷まします。竹筒にぎっしり詰め込んだら、バナナの葉で軽く蓋をして、さらにその上から赤土の粘土をで封をし、庭の隅に埋めておきます。

 

熟成期間は、通常1ヶ月ほどですが、熟成期間が長くなればなるほど、茶の酸味が増します。

 

『雲南少数民族』に描かれた竹筒酸茶の製法とは違い、カビ付けの工程がありませんが、西双版納では少数民族ごとに集落を作り暮らしていることを考えれば納得できます。

 

それぞれの村ごとに、独自の竹筒酸茶の製法が発達し、伝承されてきたのでしょう。これは、日本の後発酵茶が、地域ごとに微妙に異なる製法であることと類似と言えます。

 

また、雨季の間は一旦土から掘り出して、屋内に置いておくなど、大切に作られています。この地の人々にとって、手間暇をかけて作る竹筒酸茶は貴重品です。来客がある時やお祝い事など、特別な日の食べ物、あるいは贈答品として利用されてきました。

竹筒酸茶を土中から出す

 

西双版納は漬物文化が発達しており、野菜や茶だけでなく、肉や魚も漬物にして食べています。漬物作りには専用の壺が使われていますが、茶の漬物である竹筒酸茶だけは、竹を利用して漬け込みます。

 

この地域では竹は手に入れやすく、太さも様々なものが自生しているため、庶民にとっては利便性の高い漬物容器として定着したものと推測されます。

 

嫌気的発酵のみを行う竹筒酸茶は確認できていますが、好気的発酵と嫌気的発酵の2段階発酵の竹筒酸茶の現存、碁石茶など日本の後発酵茶や周辺諸国の酸茶との繋がりについては、更なる研究の進展と共に明らかになることでしょう。

 

東南アジアの後発酵茶の製法と特徴

タイのミアンはガムのように噛むお茶

ミアンは茶葉を乳酸発酵させた食べるお茶(漬物茶)の一種で、古くから食べられてきた「タイ人のおやつ」です。市場や路上などで売られており、塩やピーナッツ、生姜や甘いシロップなどを包んでガムのように噛みます。

ミアン

 

かつては非常にポピュラーな嗜好品でしたが、近年は市場などでもあまり見かけないようになり、衰退傾向が見られます。

 

ミアン作りは、基本的に全て手作業で行われていますが、漬け込みなど一部の工程を専門業者が請け負っている場合もあります。主な製造工程は以下の通りです。

 

①茶摘み

ミアンは、葉に他の食品を包んで噛むものなので、アッサム種など、葉が大きな茶樹が利用されます。茶摘みは、春、夏、雨季そして冬の4回行われますが、8月~10月の雨季に収穫される茶葉が「新茶」と呼ばれ、最も品質が良いとされています。

中国種とアッサム種の茶葉

 

3m以上にもなる茶樹からの茶摘みは、高いハシゴの上で行われます。カミソリのような薄い刃物がついたリングを指にはめ、茶葉の茎だけ残して器用に切り取り、量がまとまると約300gずつ竹ひごで括り、カムと呼ばれる束を作ります。

ミアンの茶樹

 

②茶葉を蒸す

次は茶葉の加熱です。ミアンづくりでは、蒸し器にカムを並べ入れ、2~3時間蒸し上げます。

ミアンの蒸し

 

農家が自宅の作業小屋で使うような一般的な蒸し器の大きさの場合、茶摘みの日の夜を徹して、都合3度の蒸し作業を行うことになります。放っておくと茶葉が自己発酵を始めてしまうので、時間との戦いです。

 

③漬け込み

蒸し上がって分量が減ったカムを一旦ほどき、再び一束300gで纏め直したら、漬け込み工程に移ります。

 

小規模な造り手であれば木桶に、大規模な業者であればコンクリート製のタンクに、それぞれカムをぎっしりと詰めます。大型のコンクリートタンクなら、一度に10,000個ものカムを漬け込むことができるほどの大きさがあります。

ミアンの漬け込み

 

桶やタンクが一杯になれば、バナナの葉やビニールシートを被せてから落し蓋をし、重石を乗せます。こうすることにより、中の空気が抜けて嫌気的な発酵が進みます。

 

発酵期間が3ヶ月程度のものは「ミアン・ファード」と呼ばれ、苦味が強いミアンです。現在市場に出回っているのはこのタイプです。

ミアンの販売風景市場で販売されるミアン1個

 

一方、「ミアン・プリオウ」は酸っぱいミアンで、漬け桶やタンクの重石の上に水を注ぎ、完全に空気を遮断して発酵させたものです。発酵期間も最低4ヶ月は必要で、1年ものが最上級とされています。

 

このように水を張って空気を遮断する方法は、阿波番茶の漬け込みと同じものですが、現在こちらのタイプのミアン・プリオウの生産は行われていないようです。

 

ミアンの賞味期限は、常温で約1ヶ月と日持ちがしないため、出荷の際は籠の内側にビニールシートやバナナの葉を貼り、100束のカムを隙間ができないように詰め込み、なるべく空気に触れさせないように工夫されています。

ミアンの出荷準備

 

ミャンマーのラペソーは副菜でありおやつでもある

ミャンマーにも食べるお茶「ラペソー」があります。

ラペソー

 

作り方は、茹でて冷ました茶葉の水気をしっかりと絞ってから揉み、水にさらして苦味を抜きます。これを再度絞って竹筒に詰め、バナナの葉で蓋をした後、水をかけて空気を遮断し、土の中で約8ヶ月発酵させるというもので、嫌気的発酵を1回行うタイプの竹筒酸茶とほぼ同じです。

 

チューインガムのような嗜好品だったタイのミアンとは異なり、ラペソーは食事の副菜でありおやつといった位置付けです。

 

ココナッツオイルやごま油で和えたラペソーを、仕切りのあるラペソー専用の容器に、ナッツや干しエビ、揚げニンニクなどと一緒に盛り付け、それを各自が混ぜながらいただきます。

ラペソー専用の容器に盛り付けられたラペソー

 

また、サラダのトッピングやチャーハンの具としても使われており、現在はミャンマー人の食卓に欠かせないものとなっていますが、かつては贅沢品であったと伝えられています。

ラペソーのサラダラペソーのチャーハン

 

アジア各地の嫌気的発酵茶の共通点と相違点

中国雲南省やタイ、ミャンマーで製造される嫌気的発酵茶は、それぞれ漬物茶という位置付けであり、飲むお茶ではなく「食べるお茶」である点が共通しています。また、いずれもかつて贅沢品として扱われていました。

 

ところで、なぜお茶を漬物にしようと思ったのでしょうか?

 

先ほども少し触れましたが、西双版納を始めとする雲南省の各地には、野菜だけでなく肉や魚も漬物にし、常に何種類もの漬物が食卓に並ぶなど、漬物文化が根付いています。お茶もその例外ではなく、ごく自然に漬物茶が生まれたことは想像に難くありません。

昆明市の屋台食堂に並べられた漬物

 

次に、漬物茶が希少価値のある贅沢品とされた理由は、茶の樹が貴重なものだったことが挙げられます。

 

西双版納の猛海県には、栽培種として世界最古の樹齢800年を誇る「茶樹王」がありますが、昔からお供え物を持ちお詣りする対象でした。簡単に収穫できないからこそ、漬物茶もまた特別な時に少しずつ使う贅沢品となったのでしょう。

茶樹王

 

製法にもいくつかの共通点が見られます。例えば、茶葉の加熱は、いずれも茹でるか蒸す方法がとられています。これは、乳酸菌などの嫌気性バクテリアによる茶葉の発酵には、適度な水分を必要とするからです。

 

その一方で、蒸し時間は容器のサイズや茶葉の形状により差があります。

 

小規模の漬物茶を作る場合に、発酵容器として使われるのは、いずれも竹筒です。蓋をしっかりすれば密閉性が保たれる点、持ち運びに便利で、大きさのバリエーションも豊富な点、また自生しているものを利用すれば費用がかからない点が大きなメリットです。

竹筒酸茶に使われる竹筒

 

なお、生産量が多い場合は竹籠などが使われますが、この場合も内側にバナナの皮を何層にも重ねて貼り付け、さらに赤土粘土と牛糞を混ぜたものなどでしっかり封をしています。

 

また、茶葉を詰めたら、土の中で熟成させるのには、共通する2つの理由があります。

 

1つは地理的な条件です。西双版納、タイ、ミャンマーの漬物茶の産地があるのは山岳地帯です。緯度的には赤道が近いこともあり、昼夜の寒暖差が大きく、漬物茶の発酵に適した環境とは言えません。

漬物茶の主な産地

 

したがって、温度変化が比較的緩やかな地中に埋めて熟成させるようになったと考えられます。

 

もう1つは、竹筒の密封に使う赤土粘土の乾燥防止です。赤土粘土は乾燥に弱いため、外気に触れたまま放置するとひび割れしてしまい、発酵中に茶葉が空気に触れて、製品の品質が大幅に劣化してしまうのを防ぐ目的があります。

 

その反対に、降水量が多い雨季には、雨の侵入を防ぐため、竹筒を掘り出して室内で熟成させるなど、きめ細やかな配慮がなされています。

竹筒酸茶の掘り出し

 

日本の漬物茶である碁石茶や阿波番茶と、中国や東南アジアの漬物茶は、製法などに相通ずる部分が多く見られますが、最大の違いは、日本の漬物茶は「乾燥させて飲むお茶」という点です。

 

食べるお茶として伝わったものが変容したのか、それとも乾燥漬物茶として伝わったのか、そのルーツや歴史については今後の研究が待たれるところです。

 

中国、東南アジアの漬物茶は、貴重品とされていましたが、消費者は少数民族などの一部に限られ、徐々に絶滅の道をたどっています。日本の漬物茶である阿波番茶や碁石茶なども同様に、時代の流れと共に存在感を失いつつあります。

 

漬物茶には独特の味と香りがありますが、一度知るとトリコになる人も多いくせになる魅力的なお茶です。機会があれば、絶滅する前に一度試してみることをおすすめします。

 

日本で伝統的に作られているお茶は、後発酵茶以外にも存在する

茶葉を揉まずに作る日干番茶

岡山県美作市に伝わる「日干番茶」は、揉捻せずに作る緑茶です。かつては中国・四国地方の各地域で製造されていましたが、現在は美作市周辺のみで製造されています。

日干番茶(美作番茶)

 

日干番茶の名は、天日干しを繰り返して仕上げることから付けられましたが、「美作番茶」としても知られています。

 

梅雨が明けた7月頃、3番茶を枝ごと刈り取って、大きな鉄釜で茹でます。茹で上がった茶葉を筵の上に広げ、天日干しで乾かしていきますが、この時茶葉の煮汁を掛けながら乾かすのが特徴です。

日干番茶の茹で

 

茶葉が乾いてきたら、また煮汁を掛けることを何度か繰り返すことで、その仕上がりは煮汁の茶渋により黒褐色に光っています。

日干番茶の天日干し

 

ほんのわずかですが茶葉が発酵していますので、召し上がる際にはやかんでぐらぐらと煮出した方が、酸味が目立たず風味がしっかり感じられるお茶となります。

 

九州の釜炒り茶は、釜の角度の違いで分類される

日本の緑茶のほとんどは、茶葉に蒸気を当てることで葉に含まれる酸化酵素の働きを止めていますが、九州各地で古くから作られてきた「釜炒り茶」は、その名の通り茶葉を釜で炒って加熱し、酸化酵素を失活させます。

釜炒り茶の茶葉

 

釜炒り茶は、炒り方の違いによって、2つの系統に分類することができます。炒り方の違いは、釜の角度によって生まれています。

 

1つは、45度に傾斜をつけた傾斜釜を使っている佐賀県の「嬉野式」で、もう1つは、角度をつけない平釜を使っている熊本県や宮崎県の「青柳式」の釜炒り茶です。傾斜角がある方が、茶葉の一つ一つが丸まって、勾玉のような形状の仕上がりになります。

嬉野式の釜青柳式の釜

 

非常に手間暇がかかる製法のため、釜炒り茶の製造工程の大部分は、現在では機械化されていますが、伝統的な製法は以下の通りです。

 

①釜炒り1回目

釜炒り茶に使われる茶葉は、一番茶を丁寧に手摘みしたものです。釜で炒る際に大きさの不揃いなものや茎などが混じっていると、焦げるなどして品質を落としてしまうので、注意が必要です。

 

厳選された茶葉を約400℃に熱した釜に投入し、手か杓子を使って、茶葉に空気を含ませ回転させるようにすくい上げます。均等に水分を飛ばすためにも、1秒に1回くらいの速いペースで葉を回転させつつ、それを5分ほど続けます。

嬉野式の釜炒り青柳式の釜炒り

 

②茶葉を揉む(揉捻)

釜炒りが終わったら、釜から茶葉を取り出し、手揉みします。水分が出てきたら、茶葉全体をほぐしてまた揉むことを数回繰り返します。

釜炒り茶の揉捻

 

③釜炒り2回目(第一水乾)

釜炒り1回目の半量の茶葉を約220℃に熱した釜に入れ、10分ほど炒りつけます。釜面に茶葉が均等に触れるように、両手で絶え間無く茶葉をすくい上げながら、水分を飛ばしていきます。

 

この工程が終わる頃には、茶葉の色はかなり濃い褐色に近づき、サラサラとした手触りになります。

 

④釜炒り3回目(第二水乾)

次は、130℃くらいに熱した釜に、釜炒り1回目分の茶葉(釜炒り2回目の2倍の投入量)を入れ、さらに炒って水分を飛ばします。

 

⑤釜炒り4回目(締釜)

100℃前後に熱した釜に、釜炒り1回目の4倍の茶葉を入れ、茶葉の形状を整えつつ完全に乾燥させます。絶えず手を動かしながらの作業は、およそ90分と非常に長く、根気と体力が必要な工程です。

 

⑥篩分け

ゴミなどが混ざらないように、ふるいにかけます。

釜炒り茶の篩分け

 

⑦釜炒り5回目(仕上炒)

約80℃に熱した釜で、1時間ほど、釜の縁に沿って回転させながら炒り付けます。この工程で、茶葉に丸みを付け、釜炒りの香ばしさを更に引き出します。

 

なお、嬉野式と青柳式の製法の違いは、釜炒りの際の手の使い方が異なるぐらいで、基本的にはほとんど同じです。

 

四国の過疎の村を再興するために導入された嬉野式釜炒り茶

嬉野式の釜炒り茶を、村おこしの一環として導入した村が、高知県土佐郡大川村です。愛媛県との県境に近い、四国山脈のちょうど中央に位置しています。

高知県土佐郡大川村の場所

 

釜炒り茶の製法を取り入れたのは、昭和10年のことでしたが、現在に至るまで製法が受け継がれ、村の特産品にも名を連ねています。

大川村の釜炒り茶

 

四国の農家が自家消費用に作り続けてきた釜炒り茶

愛媛や高知、徳島の山あいの地域では、昔から素朴な釜炒り茶が作られています。販売用ではなく、あくまで自家消費用として農家の人達が手作りしている伝統のお茶です。

 

その製法は、山茶ややぶきたの新芽を鉄鍋で炒り付け、揉捻と天日干しを交互に数回ずつ繰り返すというシンプルなものです。

 

この製茶法は、中国・雲南省の基諾(ジノウ)族の製茶法ととても似ています。全くの偶然による類似なのか、偶然ではないのか不明ですが、お茶の歴史はまだまだ奥が深く、興味が尽きることはありません。